しゅおしゅおの喫茶養生記

大好きな中国茶や目下勉強中の中国語について。たまに中国のことも。

金のなる木

半年ほど前、夫の実家に行ったとき、夫の両親が育てている、というかもはや育っている「金のなる木」の先っぽの方を切って持たせてくれた。義父曰く、土に差せばまた新しい葉が出てきて大きくなるよ、とのこと。
私は、一体どんな具合に成長していくだろう、と大きく成長した金のなる木の姿を想像した。

土を用意するまで金のなる木を水に浸していたが、果たして一向に新しい葉は出てこない。どころか、茎みたいな部分はしわしわにしぼんでしまい、明らかに元気を失ってしまった。
どうやら水が多すぎたようなので、一旦水から出してしばらくおいたりして、なんとか金のなる木の命を繋ぎ止めるのがやっとだった。
土と鉢を買ってきて土に差してからは、さすがに生命の危機はなくなったものの、思ったより全然成長が見られない。やっと小さな葉っぱが出てきたかと思うと別の場所が枯れたりして、全体のボリュームがほとんど変わらない。
私はてっきり新しい葉が次々に出てきて、数ヶ月ですっかり見た目も変わるのかと思っていたので、その「3歩進んで2歩下がる」みたいな金のなる木の様子には少しだけやきもきしていた。

7月に入り太陽が照りつける暑い日が多くなってくると(まだ梅雨なんだけど、、)金のなる木はやっと、明らかにわかるほど成長し始めた。
といってもまだまだ子供みたいな小さな植物だが、「大きくなるぞ」という意思が感じられる、気がする。もっと大きな鉢を買わなくては。

金のなる木の様子は、自分と子供にも少し似てるな、と思った。
今年の4月には自分は働き始めリスタートしているつもりだったけど、保育園が決まらなかったりして生活は変わっていない。けれどもまあ、想像していたものより随分歩みもスケールも小さいものの、コツコツ努力してきたことは小さな芽を出してはいる。
子供は子供で、あの意思の疎通ができない感じがいつまでも続くように思われたのが、一歳を過ぎるとやっと脳みそのどこかがつながったかのように感情も表現力もできることも多くなっていった。

「われは草なり」の「のびられるときのびるなり」を思い出した。
というか、早く寝よう。