しゅおしゅおの喫茶養生記

大好きな中国茶や目下勉強中の中国語について。たまに中国のことも。

ウクレレチューニングのめんどくささから解放された

ウクレレを弾きたいのですが、チューニングがめんどくさくてなかなか手に取りませんでした
が、この悩みが一個の無料アプリでたちまち解決してしまいました!

https://play.google.com/store/apps/details?id=com.sunnydayworks.tuner2

これ、普通に売ってるチューナーと遜色ない働きをします。ウクレレで音を出すと、「もうちょい高く」とか合ってるよーというのを教えてくれます。

チューナーを使うにしても、チューナーを出してきたりするのが地味にめんどくさいですし、しばらくウクレレを弾いてないとチューナーがどこにあるのかさえわからなくなります。
でも、このアプリがあればすぐにチューニングできます!ものの1分でチューニング完了しました。
すぐに演奏できました。この感動たるや!!
素晴らしいアプリがあるもんだ。

脳に関する観察

単純な脳、複雑な私
という本を読んでます。

脳には色や物体や音など様々なものを認識する神経ニューロンがあって、それは刺激されないと反応しなくなるから、反応しなくなったものはその人にとっては無いものと同じ。
という話があって、自分でも納得いくことが多いのですが、一歳児を観察していると尚更わかりやすいです。
一歳児は盛んに言葉とか色んなものを獲得してる真っ最中なので、紺色の背景に白い点が描かれているのを見て、子供が「キラキラ」(星のこと)とか言うと「あっ、ニューロン獲得」とか思います。

脳に関する観察

単純な脳、複雑な私
という本を読んでます。

脳には色や物体や音など様々なものを認識する神経ニューロンがあって、それは刺激されないと反応しなくなるから、反応しなくなったものはその人にとっては無いものと同じ。
という話があって、自分でも納得いくことが多いのですが、一歳児を観察していると尚更わかりやすいです。
一歳児は盛んに言葉とか色んなものを獲得してる真っ最中なので、紺色の背景に白い点が描かれているのを見て、子供が「キラキラ」(星のこと)とか言うと「あっ、ニューロン獲得」とか思います。

人間ブラックホール

かつて、夜中に突然起きてしまって、間が悪いことに丑三つ時なものだから、隣で寝ている姉の姿を確認して安心しようと思ったけど、姉の姿を見ようとした途端ブラックホールに引きずり込まれるような気がした。
ブラックホールって引きずり込まれるようなものなのかわからないけど。

人間は怖い。人間はすばらしい。

人間も動物も、命の価値は同じ。だけども、やっぱり人間と動物は大きく違う。全然違う。

だから子育ては難しいのだと思う。

「あふれるほど愛をそそぐ」という本のなかで、子供には母親の働く背中を見せていればよいと思ってたけど、子供はそんな単純なものじゃないと気づいたという話が載っていて、大いに納得した。

子供はベビーシッターや託児所に預けるだけでなんとか育てていけるようなものではない。バリバリ働きながらきちんと育てた人は、同時にものすごいパワーで子供と向き合ったのだろうし、きっと色んな葛藤があっただろう。
子供一人一人も全然違う。親の育て方が重要といっても、生まれ持った性格だってやっぱりある。
親というのは子供がどんな性格でもそれに付き合うしかない。

子供をベビーシッターや託児所に預けて働く人を批判するのではない。というか私だってそろそろ託児所に預けて働かねばならない。金銭的に。
そうではなくて、ベビーシッターや託児所に預けて時間を確保すればはい終わり、というのが子育てではない。不自由なだけが大変なのではない。人間を育ててるってことが大変なんだ。

ダサい服

自分の服を見直してみると、自分はいったいぜんたいなぜこんな服買ったんだろう?というダサい服を見つけることがある。そして、悩んだ末に「あのときの自分は趣味が悪かった」と結論付けて、捨てる。二度とこんなおかしな服、たとえ安くたって買わないぞ、と誓いながら。

しかし、今日「働きマン」のドラマを見てて衝撃的に気が付いた。あの「ダサい服」は当時はおしゃれだったんだと。
菅野美穂が着る、肩にギャザーが寄ったジャケットも、釈由美子が着るだっせーカットソーも、なんか見覚えがあると思ったら、かつて捨てた服だった。

働きマン」は10年くらい前のドラマだ。
そうだ、あのカットソーも10年くらい前に買ったんだった。
全てがひとつにつながった。

これが「流行り廃り」ってやつかーーーーーーー!

おしゃれ感度があまりにも低い私は、基本的に服を買ったら破れるか臭くなるか薄汚れるかするまで着るものだとおもっているのにも関わらず、迂闊にその当時おしゃれだったものに手を出してしまっていたのだ。
確かに、当時は無駄に新宿や銀座のショッピングセンターをぶらぶらしていたものだ。

おしゃれってなんだかノンストップで息苦しい!

くだらないこと

今日は久々に子供がなかなか寝ない日でした。
いつも遅くとも11時くらいには寝るのですが(その時点で大分遅いけど)、今日は昼寝もあんまりしなかったので10時くらいには寝かさないとなーということでねかしつけをしてました。昼間はいつもよりいっぱい遊んだので、まあ寝るでしょ、という算段。

けれど、これが寝ない寝ない。寝る音楽流しても、背中をとんとんしても、抱っこしても寝ない。
どうやらお腹が空いていたようで、コーンの缶詰を食べつつ、盛大にそれを床にぶちまけてくれてから、今やっと寝ました。

寝かせてから12時くらいまで勉強しよう、と思ってたので、まあ全然できてません。勉強時間が削られていくと感じていた12時半くらいまではイライラしまくりというかイライラを超えて発狂しそうでした。
でもふと思いました。
くだらねー。と
私が勉強することが、そんなに大切なことか?
くだらねー。くだらねー。くだらねー。
勉強できないことにイライラしてる自分がくだらねー。
そう思ったらイライラが消え失せて、子どもも寝ました。

さて、これから今日やる分だった勉強を朝までやろうかしら。オホホホホ!(負けず嫌い)

女に学はいらない

「女に学はいらない」
私の母は、両親にそう言われて育ったそうだ。
「女に学をつけたって、理屈っぽくなるばかりでいいことない」
とも言われていたという。

もともと母は勉強が好きではなかったので、もとより大学に行く気は無かった。だからその言葉もさほど気にしていなかったそうだが、私にその話をするときは「考えが古いよね」と非難めいて話したものだ。

私はそこそこ勉強が好きだったし、小さな頃は負けず嫌いで男の子と喧嘩するくらいだったし、また私が小学生になる頃には世間はすっかり男女同権だったので、私だけでなく多くの人が「女に学はいらない」という考え方はとっても古くさく感じていただろう。

その後私は両親のお陰で大学まで行かせてもらった。お金は厳しかっただろうが、私の両親は「女に学はいらない」なんて言わず、「いっぱい学んでね」と大学に行かせてくれた。

大学で何をいかに学んだか、ということについては私は反省すべき点が山ほどあるが、大学を出たことは私にとって大きな自信につながっている。なんとか就職することもできた。


だけど今、すぐ絶望する愚か者の私の頭には、あの呪いの言葉が浮かんでくる。
「女に学はいらない」

子供を保育園に入れられない今、ろくに働けないし、保育園に入れられたって思い切り働けるかわからないし、思い切り働けなかったら、収入も責任も伴うような仕事につけない。
それはいつまで続くんだろう?この先10年以上?子供を持った女性にとって第一の仕事は子育てであり、ろくに仕事もできないのなら、やっぱりあれは正しかったんじゃないか「女に学はいらない」

そして、恐ろしいことに、自分の幼い娘にも同じ呪いの言葉をかけようとしている自分がいる。「あなたは女なのよ。女に学はいらない」


でも私は絶対にこんな言葉に負けたくない。娘にも自信をもって言いたい。
「女でも大いに勉強して、大いに働き、大いに子育てをしなさい」

今の私が言ったら、笑い者だろうか。単なるパート主婦に学はいらないんだよ。と意地悪な自分がニヤニヤ笑ってる。結局、自分ができてないから、大いに働き、大いに収入を得て子育てしている人に嫉妬して、周りの女性たちを道連れにしようとしているだけなのだ。
ああ愚かな人間。