子供なんて産むな、という世論
40代で癌で亡くなった、ジャーナリストの千葉敦子さんの「死への準備日記」を読んでいます。
死へと向かっていく心や体の変化や出来事は壮絶ですが、それに対して尚凄まじい執念で生き抜こうとしている千葉敦子さんの姿は、ただただ圧倒的。
私には、その姿に尊敬のような気持ちは感じませんでした。癌で死に向かってる人に、尊敬するなんて失礼だと思いました。
千葉敦子さんはそんな尊敬の念なんてどうでもよい。他人にどう思われても良い、ただ大切なのは自分の人生を生きることなのだ、と言っているように思われました。
ところで、本の主題とは逸れますが、本書の中で少し驚いたことは、著者が「子どもをつくらないことによって、世界の人口問題に貢献できる。日本列島にこれほど人間がひしめいているのに、なお子どもをつくる人たちの気が知れない。」と述べているところです。「子どもをつくるのは罪悪である」と述べた深沢七郎さんの話にも触れていました。
現代、「子供を産まない選択をしてもよい」という考えは世の中に多くあるものの、「子供なんて生むな、人口増やすな」という考えはほぼ無いのではないでしょうか。
私が物心ついたときには既に「少子化、少子化」とやたらいわれていました(私が産まれた頃が、まさに著者が「子ども産むな」と言っていた時代なのですが)
でも、ふと思いました。
これは、現代において「人口が減る一方なのに子どもをつくらない夫婦は悪だ」と言われるのと180度違って結局同じようなことを言っているのだと。
当時、確かに人口が飽和していたかもしれないけれど、それでも何人子どもを産んで育てたいかは個々人の自由です。それを「罪悪だ」とまで言うこと、それを支持したことに関しては、私は千葉敦子さんに共感どころか反発を覚えてしまいました。
と同時に、時代や環境が違えば正義は全く異なる。だから、正義を正義として語ったり、その語られたことを真に受けて自分が悪だと悩んだりすることはほとんど意味がないことだと感じました。