女に学はいらない
「女に学はいらない」
私の母は、両親にそう言われて育ったそうだ。
「女に学をつけたって、理屈っぽくなるばかりでいいことない」
とも言われていたという。
もともと母は勉強が好きではなかったので、もとより大学に行く気は無かった。だからその言葉もさほど気にしていなかったそうだが、私にその話をするときは「考えが古いよね」と非難めいて話したものだ。
私はそこそこ勉強が好きだったし、小さな頃は負けず嫌いで男の子と喧嘩するくらいだったし、また私が小学生になる頃には世間はすっかり男女同権だったので、私だけでなく多くの人が「女に学はいらない」という考え方はとっても古くさく感じていただろう。
その後私は両親のお陰で大学まで行かせてもらった。お金は厳しかっただろうが、私の両親は「女に学はいらない」なんて言わず、「いっぱい学んでね」と大学に行かせてくれた。
大学で何をいかに学んだか、ということについては私は反省すべき点が山ほどあるが、大学を出たことは私にとって大きな自信につながっている。なんとか就職することもできた。
だけど今、すぐ絶望する愚か者の私の頭には、あの呪いの言葉が浮かんでくる。
「女に学はいらない」
子供を保育園に入れられない今、ろくに働けないし、保育園に入れられたって思い切り働けるかわからないし、思い切り働けなかったら、収入も責任も伴うような仕事につけない。
それはいつまで続くんだろう?この先10年以上?子供を持った女性にとって第一の仕事は子育てであり、ろくに仕事もできないのなら、やっぱりあれは正しかったんじゃないか「女に学はいらない」
そして、恐ろしいことに、自分の幼い娘にも同じ呪いの言葉をかけようとしている自分がいる。「あなたは女なのよ。女に学はいらない」
でも私は絶対にこんな言葉に負けたくない。娘にも自信をもって言いたい。
「女でも大いに勉強して、大いに働き、大いに子育てをしなさい」
今の私が言ったら、笑い者だろうか。単なるパート主婦に学はいらないんだよ。と意地悪な自分がニヤニヤ笑ってる。結局、自分ができてないから、大いに働き、大いに収入を得て子育てしている人に嫉妬して、周りの女性たちを道連れにしようとしているだけなのだ。
ああ愚かな人間。