しゅおしゅおの喫茶養生記

大好きな中国茶や目下勉強中の中国語について。たまに中国のことも。

山登り

皆さんは山登り好きですか?

私は好きです。ここ最近は全然行ってませんが、高校生の頃は山岳部でした。といってもお金も無いし「楽しめればいいや」という感じだったので、関東近郊のそこまで厳しくない山に登っていました。

といっても2000m級の山にも登りましたし、テントや水も持つので少なくとも10数キロの荷物を担いで登ることはそれなりに辛く大変なことでした。(それが楽しかったのですが)

ところで、1000mを越える山に登る時いつも感じていたのが「山高いな~~」というものでした。そんな山体験が、目標に向かって進み達成することとちょっと似ているな、と思ったので書きます。

 

さて、「山は高い」のです。たとえ前回2000m級の山に登っていて「今回は1000m級だし楽に行こう」と考えていても、実際に登ると、いくら歩いても歩いても一向に頂上は現れません。

登っている時は常に数10メートル先しか見えませんので「そろそろ頂上っぽいな」と思ってもその期待はほぼ打ち砕かれます。登った先にはまたさっきと同じようなごつごつした岩や木々が・・・。同じ光景が延々続きます。
そういった「希望⇒失望」を何10回も経験し、もはや希望も抱かなくなってきた頃、突然目の前に頂上が現れるのです。


その時には疲れ切り、頂上に着いた喜びを表現する気力が無く、倒れこみます。笑顔なんて出ません。ただ、心にはなんとも言えない充実感と安堵があります。それに頂上は必ずしも「休憩スペース」があるとは限らないので、休憩もそこそこにまた移動し、どこかの山小屋か広々としたところにテントを張りひと晩休息をとって、また過酷な下山が始まるのです。
そうして麓に下りる頃には、車の音が聞こえたり整備された道路が見えるだけで涙が出てくる時もありました。

泥だらけで都心に帰って来る姿は、決してかっこいいものではありません。周囲の人も奇異な目で見るか視界にも入らないだけです。でも、私はこの時非常に充実した気持ちで、この上なく楽しい気持ちでした。

 

この経験を振り返り、私はいろいろなことを思います。
ひとつ、目標を達成するのは自分が思っている以上に高く険しい。それが世間一般に大したことないと思われているものでも、高く険しい。
ひとつ、ゴールがすぐそばにあるのか遥か遠くなのかはたいていわかりにくい。
ひとつ、ゴールそのものが自分に価値を与えてくれるものではない。(少なくとも努力に比例するわけではない)一番大切な価値はそこへ至るまでの過程と達成したことによって得られる満足感や自信である。

などなど。

登っている最中はほとんど呪詛の言葉しか吐かない私ですが、それでもまたあの辛い山登りをいつかしたいな、とも思っています。泥だらけで都心をうろつくのがたまらなく楽しいので。